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  • 執筆者の写真Ryuzo Akano

【店主赤野のサステナブルなカリフォルニア滞在記】第4回:ワイナリー訪問とニワトリ

前回ご紹介したように、ファームの毎日はとてもシンプル。


寝て起きて食べて、必要な仕事をしていたら、あっという間に一日が過ぎていきます。


忙しなくタスクをこなす日々を送っていた僕にとって、そんな日常こそが新鮮でもあるのですが、時々、とてもドラマティックな体験をすることもありました。


ワイナリー訪問もそのひとつ。


カリフォルニアワインと言うとナパ、ソノマ、という有名な地域が頭に浮かびます。


しかし実際は、ゴールドラッシュと共にさまざまな場所でワインが作られるようになり、このシエラネバダ山脈のユバも有数のワイン生産地域であることを古佐古さんに教えてもらいました。


それならばと、ファームから目と鼻の先の距離にあるワイナリー2つを訪問してみることに。


まず訪れたのは、40年以上に渡ってグラントとマリー・ラメイ夫婦が経営するGrant Marie Winery(グラント・マリー・ワイナリー)。



標高1,900フィート以上という高地で、粘土と花崗岩が分解されたまばらな土壌で育った樹齢の古いブドウの木を使用し、天然のミネラルとフランス樽を使って発酵させた芳醇なワインを造っているそうです。


次に訪れたのは、イスラエル生まれのギデオン・バインストックと奥様のサロン・ライスが1999年にオープンしたClos Salon(クロス・サロン)というワイナリー。



伝統的な技術と厳格な有機農法を用いて、2.5エーカーの自宅の畑から少量のピノ・ノワールを、さらに近隣の畑で獲れたブドウを使用したユニークなブレンドワインを生産しています。


話をうかがってみると、「自然農法・わら一本の革命」の著書として有名な福岡正信氏に多大な影響を受け、自然と対話しながらワイン造りをおこなっているとのこと!


醸造所をひと通り見学させてもらった後、用意してくれたテーブルを囲んでテイスティング。


アットホームな雰囲気の中、造り手たちとの会話を楽しみながらいただくワインはとても身近で、それはそれはおいしいこと。


なんといっても、自分の家族や仲間たちに楽しんでもらうために造っているというコンセプトが素晴らしく、心から感銘を受けました。


しかもありがたいことに、1箇所目のGrant Marie Wineryで農園ボランディアをさせてもらえることに。


冬なので収穫の時期ではありませんでしたが、葡萄の枝の剪定作業や樽の洗浄を体験し、ワインも生き物であるということを身を持って理解することができました。





「収穫時期になったらまたいらっしゃい」とお誘いいただいたので、次回は夏に訪れることを約束してワイナリーを後にしました。



そしてワイナリーとはまた違った意味で忘れられないのが、ニワトリを絞めるという体験。


僕が暮らす横須賀近辺には良い魚屋さんも多く、魚を絞めて捌くことは日本でも日常的に行っていました。


スーパーに並ぶパックの魚や切り身魚は便利かもしれませんが、生き物を食しているという実感は得られません。


自ら処理することで生き物が食べ物に変わってゆく工程に携わることができる、大切な時間だと思っています。


古佐古家ではお店で鶏肉を購入することはなく、いただく鶏肉はすべて平飼いのニワトリを絞めて処理したものだそう。


僕の滞在中に処理するから体験していったらどうか?と誘っていただき、ぜひ参加させてほしいとお願いしました。


作業は前日の夜からスタートします。


ニワトリは暗くなると目が効かないため、大人しくなる夜のうちに数十羽を1箇所に集めておくのです(翌日5羽ほど逃げてしまい、捕まえるのが難儀でした)。



そして迎えた当日の朝。


必要な道具をすべてセットすると、古佐古さんが慣れた手つきであっという間に数羽を処理してしまいました。


もちろん見ているだけではなく、僕も参加。ノルマは1人8羽です。


自分の気持ちの変化に意識を向けながら、黙々と処理していきます。


作業中感じたのは、目の前のニワトリへの感謝と申し訳ないという気持ち。怖いという感情はほとんど起きませんでした。



その日の夜は、捌いた鶏肉を余すところなく有り難くみんなでいただきました。


朝には生きていた命がこうして目の前で鍋物の具材となり、我々の血肉として姿を変える。


私たちは生命をいただいて生かされているのだということを五感フル動員で心に刻む貴重な体験でした。


もちろん、味わいや盛り付け、作ってくれた人に対する感謝の気持ちも大切ですが、肉も魚も野菜も、多くの命のおかげで私たちは料理を作り食べることができる。


この日のおかげで、そんな大切なことを僕は一生忘れないでしょう。


そしてできることなら中学生くらいのときの自分に体験させてあげたい、とも思うのでした。




















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