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  • 執筆者の写真Chie Nishimura

不揃いという調和(文:西村 千恵)



以前、Ring the Bell HAYAMAのライブを担当させていただいた際に書いていただいたコラム記事にもある通り( https://www.ringthebell.shop/post/20211126 )ファームキャニングはサステナブルな農家さんから規格外の野菜を買取ってオリジナルのソースなどを作っています。


かれこれ起業したのが5年も前になりますが、きっかけは都内から葉山に移住したことでした。(こちらの記事もどうぞ https://www.ringthebell.shop/post/youarewhatyoueat)


そこで出会った無農薬、無化学肥料で栽培する農園のお手伝いをするうちに、色のムラや大きさや形の不揃いな野菜はB品としてスーパーなどには納品できないという現状を知ることになります。

そんなもったいない野菜を活かしたいと思い加工を始め、これまで色々な”規格外野菜”に出会ってきました。



例えば虫がかじった跡のある大根。

人が歩いているように見える二股の人参。

小粒でかわいいジャガイモ。

背が伸びすぎた巨大小松菜。

日当たりが悪かった部分の色が褪せているかぼちゃ。

凸凹だったり、大小の差異だったり、見た目が悪いという理由や、同じでないという理由で販売されない野菜たち。




一般的に、規格というのは流通を円滑にするために作られたルールであり、そのおかげで私たちは遠方の野菜を低価格で手に入れることができるという恩恵も受けています。


例えばキャベツを1箱に6個入れるというルールにすれば、トラックに30箱入るなら一度に運べるのは180個となる。そうすると運搬にかかるコストをいつも180個で割れば一定の運送料が割り出せます。


しかしこれが、大きいキャベツが入っている箱は4個しかはいっていないけれど、こっちの箱は小さいものが10個入っています、となると運送料の計算をどうすれば良いか考える必要が出てきてしまいます。

また毎回箱の中の数をチェックしなくてはならないと時間もかかり、非効率なわけです。

時間やコストをかけずに効率よく作業ができるための知恵として作られたのが規格であるということは十分理解できますので、それ自体を悪くいうつもりはありません。




でも少し考えてみると違和感を持ちませんか?

野菜は自然の営みで作られるわけで、どれもが同じ形、大きさ、重さになるというのは不自然ではないでしょうか。


手塚治虫の漫画によく出てくるようなクローン人間が並んでいて、赤の他人なのに全く同じ顔、同じ声、同じ背格好、同じ思考だった場合、気持ち悪いと思いますよね。



そう、1人として同じ人間はいないのと同じように、野菜もそれぞれ異なるのです。

工場生産されるモノではなく、種から成長する命あるものであると理解すると、人間都合の行きすぎた管理というのは無理がある気がします。



ただ、美しいものを美しいと思うのは本能だとも思うのです。

自然の中にも法則があり、次世代に種(しゅ)を残して行くためには美しいものを選ぼうとするのは当然のこと。

例えば大豆も収穫後に仕分けをしますが、欠けがあるものや歪な形のあるものは加工したり調理して食べる用になり、完璧にきれいな形をしたものを種として植えると聞いたことがあります。


だから、美しい形だと思う気持ちは否定する必要はなく、無理に不揃いのものを愛でることもないのだと私は考えていたのです。



竹田かたつむり農園(竹田農園のHPより)

しかしあるとき、長崎県雲仙で種取りをしながら農業を営む竹田かたつむり農園(https://www.takedakatatsumuri.com) の竹田竜太さんとお話をした際に、とてつもない衝撃を受けることになりました。


野菜を作り続けるために不可欠な種をとるという作業を昔はどの農家さんもしていましたが、今では大変な苦労がかかる割に儲けが出ないということで種取りをする生産者はとても少ないと言われています。


竹田かたつむり農園はそんな手間のかかる種取りを、伝統野菜を次世代に残すために不可欠だとして、こつこつと続けられる素晴らしい農家さんです。


竹田さんは手作業で種を取り続けている(竹田農園のHPより)

そんな竹田さんに、種(しゅ)を残すためには美しい形のものを選ぼうとするのは当然のことなのではないかと私が言うと、

「それが面白いことに、美しい形のタネだけを選んでいくと、美味しくない野菜ができてきてしまうんですよ。なぜかわからないけれど、形の悪いタネを一緒に植えると、できの良い野菜ができる。

だから私は種を植えるときに2割くらいは形の悪いものを混ぜて植えるようにしています。」

とお話しされるではないですか!


なんという衝撃でしょう...。

つまり、一見完璧と思えるものも、そうでないものも一緒に存在させることでその種全体の存続のために必要な力学が働くのです。




ジャガイモはこんなふうに種をつける(竹田農園のHPより)


良い種を残すために良いタネだけを植えれば良いだなんて、とても浅はかな人間の考えだったと恥ずかしくなりました。


不揃いがあるからこそ調和が取れている、それは人間社会も全く同じですね。


自然というのはどこまでも計算し尽くされ、無駄や無意味なものは何一つなく、完璧な世界なのだということを改めて教えられたのでした。










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