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  • 執筆者の写真Ryuzo Akano

【特別寄稿 】第5回 人本来の健康(文:古佐古 基史)




 健康であるか否かは心がけ次第でしょうか?それとも、自分ではコントロールできないものなのでしょうか?


「どれだけ気を付けていても、病気にかかってしまうことはある。その一方で、無頓着な生活をしていても、ほとんど病気にかからない連中もいる。ってことは、健康であるか否かは、自分ではコントロールできないってことだよね。」


 なるほど…。


「ならいっそのこと、太く短く好きなことをやって人生楽しんだ方がいい。そうは言いながらも、病気で苦しんだり死んだりするのはやっぱり怖いよな…。」


 そりゃそうですよね。 


 「けど、大丈夫だと思う。医学の進歩のおかげでほとんどの病気は治療できるし、先端医療を施してくれる病院もたくさんあるから、病気はかかってから治せばOK!」


 しかし、病気の治療には膨大なお金がかかるのでは…。


「日本には、患者負担の少ない優れた医療保険のシステムがあるから心配ない!」 


 なら、めでたし、めでたし。いつ病気になっても安心して医療を受けられる素晴らしい日本社会にバンザーイ!


 でもちょっと待てよ。「安心して病気になれる社会」……。改めてこの言葉をじっくりと噛みしめてみると、何かおかしくありません?「安心」と「病気」という全く相入れないものが並べられているという違和感に加え、「病気は避けられないものですから、せめて安心して病気になれるようにしましょう」というニュアンスもなんだかなあ…。普通に考えるならば、本当に素晴らしい社会というのは「皆が健康で病気のない社会」ということになりませんか? 



「何をバカな!健康であるか否かは自分でコントロールできないんだから、そんな楽園みたいな社会は実現不可能だ!」


 本当にそうでしょうか?そもそも「健康であるか否かは自分でコントロールできない」という前提が間違っているのでは?つまり、健康は、強運の持ち主にのみ与えられる特権ではなく、人本来の生き方をしていれば当然の権利として万人に与えられている自然な状態ではないのでしょうか?


 健康診断では、健康体と想定される人体のデータを標準値とし、皆さんのデータがそれに近ければ「健康」、それから離れてゆくに従って「病気」と判断されます。一方で、心身の所有者である本人にとっての健康は、健康診断の結果が良いという理由で湧き起こってくるものではありませんよね。なんとなく気分が良い、体が軽いなど、主観的に認知される心身の統合的な状態が肯定的であれば「おー、今日も健康だ!」と感じることになります。


 このように、健康には、外側から計測されて数値化されるデータによって定義される側面と、当事者が主観的に認識する2つの側面があります。ところが、この両者は完全に一致するものではなく、データ上は異常がないのに健康でないと感じている方もいれば、データ上は病気なのに、当人は元気だと感じている場合もあります。


 では、最新の検査器具や化学的検査のテクニックを用いて数値化される心身のデータと、当事者の体の隅々まで張り巡らされた神経系や循環器系によって集められる情報を脳が処理することで生じる主観的感覚を比べた場合、どちらがより正確に心身の状態を把握していると言えるでしょう?


 現代の常識では、健康を維持するためには、定期的に健康診断や人間ドックを受け、第三者である医者によって健康状態を判断してもらい、適切な健康指導や治療行為を受けることが必要とされています。とすると、健康診断で認定される健康こそがより本質的な判断とされているということになりますが、ここで素朴な疑問が湧いてきます。


 人類は、この地球環境に適応して何十万年も生き延びてきた生物です。そんな人類が、近代科学と医学の助けなくしては自らの健康状態すら認知することができないなどということが、果たしてあり得るのか?他の野生動物と同様に、自己の健康モニターリング機能と生存の可能性をより高める本能的行動を自動的に選択できる最適化機能を備えているのではないのか?


 「でも、現実には自分の体の異常なんて気づかないことが多いし、気づいた時には病が進行して手遅れということもあるじゃないか!」 確かに、これが現代人の姿です。しかし、これが人本来のあるべき姿なのでしょうか?



 人類はテクノロジーの発達に伴い、厳しい自然環境から逃れ、便利で快適な都市型のライフスタイルへと移行し、今ではほとんどの人口が都市に集中しております。しかし、病気はなくなるどころかむしろ増えており、高齢化とも相まって現代人の多くが先端医療なしでは生きられないという状態に置かれています。このことは、自然から切り離された快適すぎる人工的な都市環境でぬくぬくと生きているうちに、地球上生命体として進化と生存の過程で鍛え上げてきた人本来の働きが十分に発揮されない病的状態へと退化してしまったことを示唆しているように思えるのです。つまり、食べ物、飲み物、呼吸する空気、音などへの知覚、身体内部の感覚などが全て鈍化し、心身の異常に自力で気づく機能も、自然な本能的欲求に従って適度な休息、適度な運動、ある種の食品を摂取などの健康回復行動を自動的に行う機能も、正常に働かなくなっているのです。


 では、人本来の健康を維持する機能を取り戻すためには、何ができるのか?


 こういう話になると、とかく医療行為やサプリなどの外からの働きかける手法ばかりが脚光を浴びるのですが、それは枝葉の手段です。健康増進の根っこは、眠った状態にある自己の健康維持機能が本来の力を発揮できるようにすることです。そのためには、自分自身の状態と周囲の環境への感受性を目覚めさせる刺激に富んだ生活習慣を築くことがポイントになります。例えばヨガや体操、瞑想や座禅、よく噛んでしっかりと味と香りを感じる努力を伴う食事習慣、意識的な呼吸法、美しい景色や芸術作品など質の高い印象に触れる活動、騒音を避け美しい音楽や自然の音に耳を傾ける習慣など、五感をバランスよく使う生活実行メニューは、感受性を鍛えるだけでなく、それ自体が生活を豊かにしてくれます。その結果、健康までも手に入るとしたら、一粒で三度美味しいお得な生き方です。


 身体は、想像を超えたはるかに素晴らしい天からの贈り物です。目覚めよ!素晴らしき身体!

 

古佐古基史:

ジャズハーピスト、作曲家、ナチュラリスト

カリフォルニア州在住。東大医学部卒の看護師・保健師の資格も持つプロのハーピスト。

渡米後独学でハープを学び、 ジャズハープの世界的先駆者として活躍中。

自宅で自給自足ファームを営みながら統合医療研究者としても学会で活動。



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