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【特別寄稿 】第3回 時間の価値と子育て(文:古佐古 基史)




  時給、月給、年収。どれも時間をお金に換算する考え方で、現代社会では当たり前の価値観になっています。


 しかし少し冷静に考えてみると、あらゆる無限の可能性を内包している時間を単純にお金に換算するなんて、おかしな話です。時間は、人生において自由に使える数少ない資源であります。愛するものと過ごす時間、思索にふける時間、美しい自然に触れる時間、芸術を味合う時間、辛い経験を変容して乗り越えようとしている時間、小さな喜びをもたらす何気ない日常の時間…。このような貴重な一瞬一瞬の積み重ねが人生です。しかし、それがいつまで続くかは知らされていません。もしかしたら、明日で終わりかもしれない…。だからこそ、時間の価値を、物質の交換手段に過ぎないお金に換算することなど、本来すべきではないのです。


 しかし、残念なことに子供の頃から時間をお金に換算する習慣を刷り込まれるので、「生きるためにはある一定額のお金が必要だ。→ そのためには一定の時間をお金儲けの目的に使う必要がある。→ お金のためには、やりたくないことも我慢してやるのは仕方ない。」という論理になんの違和感も感じなくなります。


 でも、お金のためだけに時間を切り売りするのは、本当に馬鹿げた取引なのです。例えば、芸術的な閃きや思索の閃きは、ほんの一瞬の出来事がきっかけになります。その一瞬が、一生を左右するほどの影響力をもち、場合によっては他者の人生にも影響を与え、ひいてはそれがライフワークともなり、永続的な収入にもつながる可能性があります。ところが、時間を切り売りして、日々やりたくないことのために長時間にわたってメンタルエネルギーを浪費し疲労困憊すると、残りの自由時間はそこからの回復と憂さ晴らしの娯楽にあてられ、時間のクオリティーはどんどん低下してしまいます。つまり、安く切り売りした時間の値段に合わせて、人生全体の時間のクオリティーも下がってしまうのです。これは、実に恐ろしいことです。


 「でも、子育てもあるし、嫌でもお金を稼がないとやっていけないじゃないか!」しかし、そのために子供と過ごす時間が犠牲にされ、家族の絆が希薄になり、結局誰も幸せを感じられないとしたら本末転倒です。


 古佐古家ではそうならないように、あえて妻は子育てを優先させ定職につかず、もっぱら音楽活動による収入で家計を支えてきました。とはいえ、音楽家の収入の不安定さには定評がありますから、リーマンショックによる世界恐慌などの荒波を乗り越えて子育てするのは、本当に大変でした。子供たちに幸せな子供時代を経験させてやりたいと思うものの、お金はない。では、どうすればいいのか?


 実は、子供に幸せな時間を与えるためには、大人が子供と一緒に過ごす時間を心から楽しむだけで十分なのです。むしろ、それ以外に本当の意味で子供を幸せにする方法はないと思います。だから実際には、子供を幸せにするためにそれほどお金はかかりません。大人が楽しくしていれば、子供も楽しくなる。それだけです。


 でも、いつも仕事に追われて心に余裕のない大人たちは、表面的に子供と遊びながらも、そこを切り上げるタイミングを窺いつつ「心ここにあらず」の状態で付き合ってしまいがちです。そんな偽善を、子供はちゃんと感じとってしまいます。大人はそんな罪悪感から逃れようと、お金を使っておもちゃやゲームを買い与え、子供のご機嫌をとることで穴埋めをしようとします。そんなことを繰り返していくうちに、親子も心の絆を深められる貴重なチャンスを失い、子供との心の距離はどんどん広がり、やがては赤の他人同様の関係になってしまいます。


 子供と一緒に心から楽しい時間を過ごすためは、誰にでもできるちょっとしたコツがあります。自分が子供だった頃の心を思い出して、その心で子供に接すればいいのです。どんな大人でも子供だったことはあるので、必ず子供の自分を見つけることはできます。子供たちの無垢なエネルギーが、忘れ去られていた子供の自分を引き出してくれることもあります。とにかく、自分も子供になりきって、大人気なく馬鹿になって本気で遊べばいいんです。本気で遊ぶことができれば、ダラダラと長い時間付き合う必要はありません。


 三人の子育てをしていた当時の我が家は、小さなボロ小屋でした。狭い部屋で子供たちが折り重なるように寝ているところに、さらに友達が泊まりに来ると、もう誰がどこに寝ているのかわからないくらい。夏休みには10人を超える友人の子供達も預かって、日中は連日の託児所状態に。もちろん、そんな環境ではハープの練習をするのも大変です。でも、楽しかった!たとえ貧乏な生活でも、大人がそれを悲惨だと思わなかったら、子供はボロ屋であろうが狭かろうが、全く気にしません。その瞬間に楽しみを見出し、幸せを謳歌するだけです。それを眺めていると、大人も元気になれるんです!



 子供が子供である時間は限られています。あっという間に、大人になってしまいます。親子として、今しか経験できないこと、今しか結ぶことのできない絆があります。それは、どれだけお金を積んでも得られないもので、時期を逃すと手に入れるチャンスは永遠に失われてしまいます。純粋な子供の心に触れることで、「この子のために、もっとまともな人間になる努力をしよう」という生き甲斐も与えられます。「もう少し仕事が落ち着いて経済的にも余裕ができたら、子供ともゆっくりすごそう。」そんな呑気なことを考えているうちに、チャンスはなくなってしまうのです。


 「じゃあ、仕事を犠牲にして子供のために時間を作らないといけないのか…。」いやいや、案外とそうでもないのです。子供と幸せに過ごす時間のおかげで、仕事でも自ずと成果が上がってきますから、長期の収支で見れば何も犠牲にはなりません。そもそも、何かを犠牲にして子育てをするという考え自体が間違っているのです。子育てを義務、あるいは重荷と感じていると、仕事でも家庭でも全て歯車が噛み合わなくなり、負のスパイラルで家族みんなが不幸に落ちてしまいます。


 子供という、無限の可能性を持った存在の成長を助けるのが子育てです。この素晴らしい創造のプロセスに比べれば、音楽家としての創作活動など色褪せて見えるほどです。子育て中の皆さん、どうか今の特別な時間を心から楽しんでください。

 

古佐古基史:

ジャズハーピスト、作曲家、ナチュラリスト

カリフォルニア州在住。東大医学部卒の看護師・保健師の資格も持つプロのハーピスト。

渡米後独学でハープを学び、 ジャズハープの世界的先駆者として活躍中。

自宅で自給自足ファームを営みながら統合医療研究者としても学会で活動。



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