Ryuzo Akano
【店主赤野のサステナブルなカリフォルニア滞在記】第2回:あの頃の自分に会いに。そして、古佐古ファームとの出会い

サンフランシスコ空港の到着ゲートを出た僕を迎えてくれたのは、現地に住む友人。
今回の旅を最終的に決断できたのも、彼が快くサポートを申し出てくれたからでした。
車に乗り込み、サンフランシスコ郊外の彼の自宅へ。
この1週間後、入れ違うように彼が日本へ1ヶ月間帰国する予定があり、戻ってくるまでの間留守を預かることになっていました。
高校卒業後のアメリカでの生活は寂れたアパート暮らしだったため、広い一軒家は新鮮。
十分過ぎるほどの空間を1人で使わせてもらえるとは、ありがたかったです。

(写真:現地入国と滞在をサポートしてくださった柳内ご夫妻、愛犬ユズと)
車も貸してもらい、アメリカでの久しぶりの運転にドキドキしながら、1人で買い物に出かけられるまで感覚を取り戻すことができました。
レーシングコースのごとく皆がアクセル全開のドライビングテクニックを披露するフリーウェイの洗礼も受け…… ペースを合わせるためにはやむを得ずこちらも対抗します。
そんなこんなで1週間後、友人を空港まで送り、1人の生活がはじまりました。
中華系スーパー 99 Ranch Marketとオーガニックスーパー Whole Foods Marketでしこたま買い込み、自己隔離のため10日間は家から出ない生活。
シンガポール駐在時に慣れ親しんだ現地の食事をほぼ再現できる食材が揃うことには驚きました。
ロックダウンが厳しいと聞いていましたが、僕が滞在した地域ではレストラン以外のお店はごく普通に営業しており、制限は少ない印象。
ロックダウンという言葉に対して日本で描いていたイメージと実際のそれとは若干違うのだと肌で感じました。
隔離期間が終わると、学生時代を過ごした思い出の地を巡る旅へ。
毎晩のように練習とライブ活動に明け暮れたバークレーやサンフランシスコ。
初めてのサーフィンで波にさらわれ、あわや岩場に衝突しかけたサンタクルーズ。

のちにITの世界にどっぷりと浸かるきっかけをくれたテクノロジーの街、シリコンバレー。
道中19歳の自分と今の自分を重ね合わせ、何を持ち何を失ったのか思いを巡らせていました。

そんなノスタルジックな感情に浸りながらも次に考えなければならないのは、この後のアメリカ生活をどう過ごすか。
1月以降は友人の家を出て別の場所へ移動することになっていましたが、宿も決まっていない状態。
ひとまず今回の旅の目的でもあったビッグ・リトル・ファームの舞台 アプリコットレーンファームに行ってみようとウェブサイトで状況を確認したところ、やはりというかCOVIDの影響でツアーはすべてキャンセルとなっていました。
同じような体験ができるところはないだろうかとインターネットで検索すると、カリフォルニアの人里離れたファームで自給自足の生活を送る古佐古さんという日本人のブログにヒット。
田舎暮らしに対する彼の考えなどが知的な文章で綴られ、また音楽がきっかけで渡米したことなど僕と重なる部分もあり、大変興味を持ちました。
幸い直接コンタクトをとれる手段を見つけ、ぜひ古佐古さんの生活ぶりを拝見したいとメッセージを送信。
このご時世なので断わられることも覚悟していましたが、事情をお伝えしたところ長期間滞在させていただけるとの返答をいただきました。
アプリコットレーンファームへの訪問が叶わず数日前まで意気消沈していましたが、一気にワクワクとした気分が復活。
友人が日本から戻ってきた後、古佐古さんにご厄介になるまでの宿として民泊サイトで予約した、ダブリン近郊のタイニーハウスへと移動しました。ハウスの目の前でウマやヤギが飼われているユニークな物件でした。

(タイニーハウスのバルコニーでギターと共に)

近くにはカリフォルニアワインで有名なリバモアがあり、大規模風力発電施設のあるアルタモントやディアブロ山に続くモーガントレイルなど、多くの観光スポットがあったので、退屈とは無縁の1週間を過ごすことができました。

(モーガントレイルで見つけた一本の木)
そして、このとき友人の紹介で、ナパで自社ワイナリーで「noria」を生産・販売しているナカムラセラーズの中村さんとお会いする機会に恵まれました。テイクアウトで注文したメキシコ料理にもよく合い、とても美味しくいただきました。和食に合うワインとのことなので、お寿司を食べながら、というシチュエーションもありそうです。

出発前日に旅の命綱ともいえるスマートフォンを紛失するハプニングもありましたが、友人の助けもあり奇跡的に発見。1年分の幸運を使い果たしてしまったような気分に。
翌日、いよいよ古佐古ファームを目指した3時間半の車の旅がはじまりました。