【特別寄稿】:第1回 サステナブルとは?(文:古佐古 基史)

近年、サステナブル (Sustainable) という言葉を耳にすることが多くなりました。
直訳では「持続可能な」という意味になります。実に便利な言葉で、「環境に負荷をかけず自然の資源を持続的に活用できる社会をめざそう!」という長ったらしいスローガンも、「サステナブルな社会をめざそう!」という一言で表現できてしまいます。そのおかげもあってか、サステナブルという言葉は急速に社会に浸透し、環境保全の重要性も広く認識されるようになってきました。
社会全体でのサステナブルな取り組みとしては、太陽光や風力などの再生可能エネルギーの活用や、資源のリサイクルなどが行われています。それに加え、できるだけゴミを出さない、家電の電源をマメに切る、空調の温度設定に気をつけるなど、個人のレベルでも様々な取り組みが進められています。
このような取り組みでは、水、空気、森林資源、水産資源、鉱物資源などの物的資源、石油や石炭などの化石燃料、日光、風、地熱、潮力などの再生可能エネルギーなどが「自然の資源」とみなされ、その保全と有効活用がゴールに設定されています。
しかし、実のところ、これらよりもっと身近で大切な「自然の資源」があるのですが、それに関してはほとんど話題にされることすらなく、それを対象にした取り組みも行われていません。
では、その資源とはいったい何でしょう?
それは他でもない、あなた自身です。
人体も、他の全てのものと同じく自然の産物です。つまり、あなた自身が、あなたにとって最も身近で最も重要な「自然の資源」なのです。
真のサステナブルを目指すのであれば、最も身近な自然である体内環境や精神世界を熟知し、あなた自身がサステナブルに存在できている必要があります。サステナブルに存在するとは、心身の健康を持続し、高い生産性を発揮しながら生きることです。
もし、自らの意志によってコントロールできる自己の心身においてのサステナブルを実現できていないとしたら、人類全体においてのサステナブルを実現することなどできるはずもありません。まずは、あなた自身がサステナブルに生きること、つまり心身ともに健康な状態で活動的な人生を送ることができなくては、サステナブルな社会に関する議論も机上の空論に終わってしまいます。

では、健康とはどのような状態を指すのでしょう?
サステナブルという視点から考えるならば、健康とは「心身の機能を最高度に発揮できる生活環境と生活習慣が実現され、生涯にわたって幸せと充実感をもたらす活動に従事できる状態」と言えます。
実のところ、このような健康観は一般的ではありません。ほとんどの場合、「健康=病のない状態(未病)」と考えられています。医療の世界では、さらに低いスタンダードが設定されていて、日常生活に支障をきたす症状がない状態、つまり、たとえ糖尿病などの慢性疾患を抱えていても、薬で症状がコントロールされて日常生活が送ることができる状態であれば、とりあえず健康とみなされます。
このような健康観に立脚した現代医療では、病気の根本原因にじっくりと働きかけるというよりは、問題となっている症状を手早く取り除く治療が主流になります。病に対するこのような態度は、様々な社会問題に対しての態度にも反映しており、問題の根本原因に取り組むのではなく、表面的な対症療法で早急に解決しようとして、状況を悪化させてしまいます。例えば、医療においては薬の副作用に対して別の薬を出し、そのまた副作用に対してさらに別の薬を出すというような悪循環に陥りやすく、そうなると、病そのものよりも薬によって身体が侵される危険が高まってしまいます。地球の環境問題においても、科学の発展によって引き起こされた問題を、さらなる科学技術で解決しようとする結果、新たな問題が発生するという悪循環が起こり、問題を複雑化させてしまいます。そのため、年々テクノロジーが進歩しているにもかかわらず、病気や環境問題などのあらゆる社会問題は減らないどころか、むしろ増え続けているのです。
これら問題の根本原因の一つは、「人類は地球の生態系の一部として存在している」という大前提を忘れ、人類と自然を切り離し、「自然 vs 人類」という対立構造を作ってしまうことにあります。この対立構造を象徴するのが「自然保護」や「自然破壊」という言葉です。素晴らしい活動を表す「自然保護」という言葉にすら、「人類が自然を守ってやる」という傲慢な態度が見え隠れしています。実際には、人類が自らの生存環境を破壊して自滅したところで、生態系はバランスを調整して存在し続けることがきるので、大自然の立場からすれば人類に守ってもらう必要などはこれっぽっちもないのです。サステナブルという概念における環境保護は、人類が生存できる環境を維持することを目的としていますから、それを必要としているのは大自然ではなく、実は人類自身なのです。つまり、「自然破壊」と呼ばれているものは、人類による「自己破壊」に他ならないのです。
人類全体としてサステナブルな生存に到達するには、自分自身の健康と生活環境におけるサステナブルを目指す努力を一歩一歩積み上げてゆくしかありません。そうやってサステナブルな生き方を実現した個人が集まった社会であれば、人類全体としてもサステナブルな生存が可能になるはずなのです。
ところが、古来より「己自身を知れ」が哲学的な命題とされているほどに、自分自身を知ることは非常に難しく、しかも、サステナブルな生き方を実行できるには、多大な努力も要求されます。そのため、つい怠け心が出てしまって、魔法のようなテクノロジーや政策によって、自分が何もしなくとも自動的にサスティナブル社会が実現されることを期待してしまいます。しかし現実には、皆が額に汗して意識的な努力を積み上げない限り、サステナブルな社会が実現されることはないのです。
サステナブルは、まず自分自身から。食習慣、運動習慣、生活環境、家族関係、仕事との関わり方など、身近なところから始めてみてはいかがでしょうか。
古佐古基史:
ジャズハーピスト、作曲家、ナチュラリスト
カリフォルニア州在住。東大医学部卒の看護師・保健師の資格も持つプロのハーピスト。
渡米後独学でハープを学び、 ジャズハープの世界的先駆者として活躍中。
自宅で自給自足ファームを営みながら統合医療研究者としても学会で活動。