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  • 執筆者の写真Chie Nishimura

チーズの神様からの啓示(文:西村 千恵)



食べものというのはとても不思議で、生きるために栄養を摂るためのものだけでなく、私たちの記憶や感情と密接なものとして働いているように思います。


例えばおばあちゃんが作ってくれた糠漬けの味は幼少期の自分を思い出すかもしれませんし、

初恋の人と食べたケーキを思い出せばなんとも言えない切ない気持ちになるかもしれません。


そんなことを一度や二度したことがあるという人は少なくないはずです。


では、初めて食べたものなのに、なぜだか涙が溢れてくるという経験はあるでしょうか。


私は初めて食べたチーズ理を口にしたとたん、号泣したことがあります。

それは嬉しいとか美味しいとかを超えた圧倒的な何かが身体中に走った感じです。


時々そのことを思い出しては、素晴らしい経験だったなあと浸るのですが

今回は、このチーズがもたらした神秘体験をお伝えしようと思います。


それは4年前にイタリアに行った時のこと。


ピエモンテ州ランゲ地方で有名なバターの造り手であり、チーズ熟成士でもあるベッピーノ・オッチェリ氏のチーズ貯蔵庫などを見学させてもらうことになっていました。


街から離れ、バス酔いをする程の山道を超えてたどり着いたのは、澄んだ空気と絵本に出てきそうな可愛らしい小さな小屋のある山間の小さな村。


その村こそ、オッチェリ氏が伝統的なチーズを守っていくために村の女性たちからチーズの製法を聞いて、工房を構えるに至った場所でした。





そもそもこのオッチェリ氏、事業を始めたのは1967年。

ちょうどイタリアでスローフード運動が広まっていた頃でした。

オッチェリ氏も食の伝統を守ろうと、昔ながらの製法で作るバターやチーズを製品として作りはじめました。


しかも美味しい乳製品を作るには美味しい牛乳が必要だし、きれいな水も必要。

そのために自然の中で乳牛を育てることも、水と空気のある山の土地に工場を作ることもやってのけるのですから、その情熱たるや尋常じゃありません。


ちなみにこのオッチェリ・バターは英国王室御用達として知られていますが、口に入れるとすーっと優しく消える雲のような軽やかさです。


またイタリアワインの王様と呼ばれるバローロの搾りかすに漬けて熟成させたチーズなど数えきれないほどの種類のチーズを作り続けています。





さて、そんな情熱をささげられた聖なる場所を私たちは見学させてもらったのですが、中でもチーズの貯蔵庫には驚かされました。


熟成させるために棚に並べられているチーズたちはまるで、いきもののように世話をされている、そんな印象を受けました。


室内には細い水路が巡らせてあり、そこには地下水が流れて湿度と温度を保つように設計されています。

実際に地下にある貯蔵庫はエアコンも入れていないのに夏でもひんやりとしていました。




そして種類によっては藁の菌を付着させて熟成を促進させるために藁が敷き詰められてある、チーズ用のベッドがあったり。


昔の人は牛や山羊の乳を保存食として食べられるようにこうして自然の力を利用していたと思うと本当に人の暮らしは自然の一部であったのだと思い知らされます。


効率面だけで見たら、手間や時間やコストがかかり、商売に向いてないから作るのをやめよう、という選択肢もあるはずです。


しかし伝統的な食や季節の恵みは「ここでしか作れない・時間をかけるからこそできる・この時期だからこそ食べられる」そういった特別な価値を持っている。


そして誰かが作り続けなければ、世の中から消えてしまう味と文化がある。


これはもう自分がやるしかないと熱意を使命感を持って取り組みはじめたのかもしれない…そんな思いを馳せると、オッチェリさんに会ったこともないのに胸が熱くなってしまうのです。




この本質的な価値を大切にし続けようとする姿勢、さらにこれを事業としても成功させているという実績。

比べ物にもならないですが、私も手作業で野菜のびん詰めを製造している身としては、並々ならぬ努力が重ねられていることは容易に想像でき、そして継続されて事業をされていることに敬意を表さずにはいられない!


そんなことを思いながら見学を終え、併設されているレストランでランチに。

美味しいワインで皆で乾杯をした後に出てきた、最初の一品はチーズのスフレ。


表面に焼き目がついた、可愛らしい四角い形のスフレをひとくち、口に入れた途端…!



胸いっぱいの感動とともに大粒の涙が溢れて目の前が見えなくなりました。

ほろりと涙が出た、なんてもんじゃありません。

号泣です。笑


それはグルメのために作ったような、ゴージャスな一皿ではないのに、胸を打ってくる力強さがあるのです。

それでいて「俺のチーズを食べてみろ!」という傲慢さが1ミリもない。


まるでチーズの神様から使命を受けて、神様の指示通りに愚直に作られた。

そんなインスピレーションを受け取って感動の涙が溢れてきたのだと思います。


ちなみに私が自分の涙に驚いて、パッと横を見たら仲間の一人も静かに涙を流しているではないですか…!

その姿を見て、あぁ、使命として受け入れ、真摯に向き合う仕事というのは、

人に何かを説明をして伝えようとしなくても、自然と「伝わる」ものなのだ、としみじみ痛感したのでした。



ランチを作っていたのはオッチェリ氏本人ではなくスタッフの女性であり、

私はオッチェリ氏本人と話したわけでもなく、食事を作ってもらったわけでもないのに伝わってくる情熱。

そしてチーズを通して受けた、本質を追求しなさいという啓示。


あなたも何かを食べた時に抱く想いやインスピレーションがあったならば、それは食べ物の神様からのメッセージかもしれません。





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