【特別寄稿 】第10回 理解と知識(文:古佐古 基史)

理解と知識の違いは何でしょう?
「理解」とは、経験を通じてあることが思考、感情、感覚、動作の中枢の全てにおいて認識された状態です。一方で「知識」とは、あることに関して思考、感情、感覚、動作のどれか一つの中枢で記憶された情報です。例えば、ハープ演奏の技術に関して本に書かれてある内容を知っていること(知識)と、ハープを見事に演奏できること(理解)は全く異なる現象です。
一般には、知識を蓄積することが、理解を得るための方法と考えられていますが、実際には、思考を用いてハープ演奏について教科書的な情報(知識)をいくら増やしてみたところで、動作と感覚を動員して実際に演奏を経験しないことには、ハープ演奏を「理解」することはできません。しかし、動作と感覚と思考で分かっただけでは、まだ十分な理解とは言えません。そこに感情を導入することで、単なる楽器演奏ではなく、感動を呼び起こす音楽演奏に関する完全な理解を得ることができるのです。
知識は、常に更新していない限り、時間とともに水が蒸発するように失われていきますが、理解はいわば心と体全体に染みわたって結晶化しているため、放っておいても、時間が経っても、そう簡単に失われることはありません。
いわゆる学校教育で得られるものは、思考に限定された知識であるため、例えば高校時代に学んだ微分や積分などの高度な数学の知識は、社会人になって使わなくなるとキレイさっぱり忘れてしまいました。一方で、何年にもわたって苦しい練習に耐え(感覚/動作)、仲間と喜怒哀楽(感情)を共にし、素晴らしい先生の理論的な指導(思考)のおかげで体に染み付いた柔道の動作は、三十代半ばに十五年ぶりに柔道を再開した時にも、ほとんど忘れられることなく残っていました。

学びにおいては、対象が何であるかにかかわらず、「知識」ではなく「理解」を得ようとする姿勢が大切です。そうでないと、せっかく学んだことを片っ端から忘れてしまって、結局何も学べないままに終わってしまいます。受験生のように、知識を蓄積するスピードが蒸発するスピードよりも上回るような勉強のペースを維持できれば、理解を伴わない知識の詰め込みでもある程度の学びを達成することが可能です。しかし、そんな子供じみた努力をいつまでも続けるわけにはいきませんから、どこかの時点で知識ではなく理解を得るための学習法を身につける必要があります。
理解を得るための学習法を知らないまま、大人になってから何か新しいことを習得しようとしても、多くの場合、以下のような結果に終わってしまいます。
例えば、ハープを弾けるようになりたいと思い、週に1回のペースでレッスンを受け始めたとします。レッスンの場面では、先生に言われたことをできるだけ忠実にやろうと努力し、それなりにできるようになった気になりますが、それは表面的に先生を模倣してやってみただけに過ぎません。そのため、自宅に戻っていざ独りで練習しようとすると、すでに多くのことを忘れてしまっていて、レッスン室でやったことのほとんどを再現できなくなっています。そんな状態で練習をしてもさほど上達しませんから、1週間後のレッスンのほとんどの時間は、すでに教わったことの再確認に費やされてしまい、なかなか新しいことを学べないままに月日ばかりが流れてゆく…。そうこうしているうちに、レッスンに行く気も練習をする気も失せて、しばらくハープを放ったらかしにしてしまうことになります。それでも、せっかく高い楽器を購入してやり始めたことだから頑張って続けてみようと思い直し、再びハープを手に取ってみるものの、中断する以前にできていたことすらほとんど思い出せないありさまで、結局、また元の木阿弥。こんなことを続けているうちに、ハープは弾かれることもなく、部屋の片隅でホコリを被って何年も放置される…。
このような挫折のパターンは、楽器演奏だけでなく、外国語、武術、スポーツ、ダンス、茶道など、様々な学びにおいて多くの方に経験されることでしょう。
では、どうすればこの挫折のサイクルから脱却することができるのか?

具体的には、動作の習得では、身体全体の感覚、動作をなぜそうしなければならないかという理論的背景、動作に伴い起こる感情にも意識を向けて、いわば全人間的に今の瞬間を経験する努力をしてみることが必要です。論理的なメソッドや概念の習得では、単に辞儀通りに情報を記憶するのではなく、それが実生活においてどのような意味を持つのかを感情で感じとり、図形や図式として整理することで動作と感覚の機能においても把握することが大切です。料理や薬草学で要求される味や香りに関する学びにおいては、感覚をあえて言葉で描写することで思考を認知に参加させ、味や匂いの感覚により呼び起こされる感情にも注意を払い、そこで思い起こされる図形や模様などを意識することで動作機能の一種である空間認知機能も参加させなくてはなりません。
このようにして、思考、感情、感覚、動作の4つの機能を参加させることで、脳の4つの異なる機能を司さどる部位のすべてに経験を刻み込むことになります。言うなれば、メモリーを1箇所ではなく4つの場所に保管するのです。しかも、一つのファイルを開くと他の3つも連動して開くように保管されるので、詳細を思い出せない動作でも、まず感覚や思考のデータにアクセスすることで動作の記憶ファイルを開き、失いかけていた動作のデータを再現することが可能になるのです。
28歳からそれまで全く経験のなかったハープを独学し、四年後にはプロの演奏家になれたのは、音楽に関する特別な才能があったからではなく、「理解」を目指した学習法を実践したからに他なりません。やるべきことは単純明快で、誰にでも生まれながら与えられている機能を学びの瞬間に総動員する。それだけです。
是非お試しあれ!
古佐古基史:
ジャズハーピスト、作曲家、ナチュラリスト
カリフォルニア州在住。東大医学部卒の看護師・保健師の資格も持つプロのハーピスト。
渡米後独学でハープを学び、 ジャズハープの世界的先駆者として活躍中。
自宅で自給自足ファームを営みながら統合医療研究者としても学会で活動。