【特別寄稿 】最終回 日々の小さな喜び(文:古佐古 基史)



 筆者は、昭和四十六年生まれの51歳です。


 経済が右肩上がりで世の中が目まぐるしく変化する時代に少年期を過ごし、バブル経済が最高潮に達した90年代に大学へ進学。アルバイトで月額40−50万円稼ぐ学生も珍しくないという好景気な社会の雰囲気も味わいました。しかし、大学を卒業する頃には、バブル経済は一気に崩壊し、その後の慢性的な経済停滞の中で中年となってしまった世代です。


 好景気の時代には、望みや目標を大きく持つことが良しとされ、日常的な小さな喜びに満足を見出しそこに幸せを感じるような生き方は「小市民的」と揶揄されたものです。今から考えるとバカげた風潮ではありますが、当時刷り込まれたこのような価値観に無意識のうちに引きずられたまま、つい最近まで生きてきたように思います。良くも悪くも、そのおかげで音楽においては常に目標を大きく持ち、生活の中での小さな快適さや喜びを犠牲にするストイックな生き方を貫き、音楽家としての内面的な資質を思い描いていた形で発達させることができました。


 しかし、音楽家として大きな目標を達成した瞬間の喜びは、ほんの束の間の出来事です。真摯に音楽にとり組んでいればこそ、一つの目標達成は新たな目標設定の必要性を意味し、達成感に酔いしれる暇もなく、さらに困難な目標に向けての新たなチャレンジが始まります。つまり、音楽家としての道のりには終わりはなく、平安の中での静かな幸福感を感られる機会は非常に少ないのです。


 確かに、チャレンジの中でこそ感じられる充実感、満足感に特別な価値があることは間違いありません。しかし、平安な静けさを伴う、沁み渡るような幸福感は、ギリギリのところで常に厳しい努力を強いられるプロフェッショナルな世界ではなく、日々の生活の何気ない「小市民的」な小さな喜びに注意を向けることで見出されるものなのです。愛する家族や友人と過ごす時間、一期一会の人との出会い、ペットとの戯れの時間、美味しい食べ物や飲み物を心から味わう瞬間、美しい自然の移ろい感じながら静かに佇んでいる時、運動をして快い疲労感を感じている時など、ぼんやりしていると当たり前の出来事として見過ごしてしまう瞬間にこそ、幸せという宝物は埋蔵されています。人生のほとんどの時間は、このような小さな喜びのチャンスを内包した地味で退屈な普通の瞬間なのです。これらの瞬間から喜びを発掘できるか否かは、自分次第です。これらの小さな喜びの時間を犠牲にして大きな目標を目指し頑張ってきた昭和生まれは、もしかしたら人生の大切な部分を取りこぼしてきたのかもしれません。


「自分は本当に幸せなのだろうか?仕事ではそれなりに成功し、収入も悪くない。一生懸命頑張って、世間で豊かさと呼ばれているものは手に入れたんだから、自分は幸せに違いない。これ以上求めるのは、贅沢というものだ。人生こんなもんなんだろう。」


 こんな風に、大人としての割り切りをすれば、内なる違和感を黙殺して生きていくこともできるでしょう。しかし、仕事での失敗や病気、経済苦などにより、幸せの拠り所に据えていた社会的要素が揺さぶられる出来事が起こると、その違和感はミッドライフ・クライシスや鬱病という、もはや無視できない心の病として現れてくることになりかねません。


 社会的に大きな成果をあげた勝ち組の成功者が、家族や友人への配慮や社会的な良心と誠実さに欠けた下品な人物であることは、珍しくありません。例えば、尊大で横柄なスポーツ選手、頭の良さをひけらかし上から目線の態度を売り物にする実業家、有名であるということ以外特筆する能力もないにもかかわらず極度なナルシストでいられるテレビタレント、社会性や常識を欠く学者、楽器演奏以外にはほとんど何の能もない音楽家、政略とパフォーマンスに長けた腹黒く利己的な政治家などなど…。


 現代社会では、天才と狂人は紙一重とされ、人間性が多少異常なくらいでないと大きな社会的成功は難しいとさえ思われています。そのため、下品な言動も許されるほどの特権を手にするに至った成功者は、むしろ憧れと尊敬を持って受け入れられています。しかし、このような成功者になることで、本当に幸せになれるのでしょうか。



 仕事で活躍する<自分>は、主に生後の教育と訓練によって培われた「人格」です。一方で、日常生活のなかでの小さな喜びに無邪気に幸せを感じられる<自分>は、生まれながらに持っている本当の自分である「本質」です。人格は、社会的な状況やそこでの役割が変われば変化していくものですが、「本質」は生まれてから死ぬまで一貫した自分として生き続けます。仕事での成功や経済的成功などにばかり目を奪われ、日常の何気ない喜びの経験を犠牲にするならば、「人格」ばかりが成長し、「本質」は人格の陰で未発達のまま、ほとんど自己表現をする機会もなく置き去りにされてしまいます。


 どれだけ社会的に成功していても、いずれは年老いて仕事の第一線から退き、それまでの自分の価値を生み出していた「人格」が評価されることもなくなり、社会からも忘れられ、最後は生来の「本質」だけを抱いて死んで行かなくてはなりません。しかし、その「本質」は生涯を通じて無視されてきたため、来たるべき死を受け入れるだけの強さも知恵も待たない幼子のままなのです。


 結局のところ、幸せな人生の秘訣は、社会生活での成果と日常生活での小さな喜びのバランス、つまり「人格」と「本質」の両方にバランスよく足をおいて生きてゆくことにあると思われます。どちらか一方のみが極度に発達した狂人と紙一重の「天才」よりは、まずバランスの取れた「凡人」でありたいものです。そこからスタートし、仕事の上での能力を向上させ、それと同時に人間性の成長にも精進することで、小さな幸せを犠牲にすることなく、さらなる大きな幸せへと向かって歩みを続けることができるのではないでしょうか。


 

古佐古基史:

ジャズハーピスト、作曲家、ナチュラリスト

カリフォルニア州在住。東大医学部卒の看護師・保健師の資格も持つプロのハーピスト。

渡米後独学でハープを学び、 ジャズハープの世界的先駆者として活躍中。

自宅で自給自足ファームを営みながら統合医療研究者としても学会で活動。